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つれづれなるままに、目に止まった記事のコピーです。
by yokokai2
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逃げられない心理状態

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〈小倉監禁殺人事件〉の集中審理は03年10月から福岡地裁小倉支部で始まり、05年9月、判決の言渡しで終った。私は最後に近い合計6回の公判を傍聴した。

7件の殺人罪などに問われた松永太(44)と緒方純子(43)、内縁の二人の被告人を最初に目にした時の強烈なコントラストが今も脳裡に灼きついている。

松永は紺のジャージー姿、ゴロリとした体躯の一見ふつうの会社員風。純子は白っぼい上衣にジーンズのスカートをはき、小柄でか細い。長めの髪に囲まれた横顔からは少女めいた印象さえ受けた。

被告人質問が始まると、松永は顔中を紅潮させ、大きな声で得々と喋った。傍聴席の失笑を誘い、裁判長から饒舌を咎められ、時には弁護士に「無礼じゃないですか!」と食ってかかる。

一方、純子は終始静かな態度で、やや掠れた柔らかな声で答えた。むごたらしい犯行の有様も淡々と語り続けた。2人のコントラストは、殺人の断固否認と、死刑をも覚悟した懺悔の姿勢、との両極端であったろうか。

本書の著者は、初公判から3年間の裁判の大半を傍聴するため何回となく東京・小倉を往復した。さらに多数の資料と、独自の取材により、稀代の凶悪犯罪の全貌を冷静な筆致で描き出した。

96年から98年に亘った事件の最初の犠牲者は、松永が仕事で知合った男性A(死亡時34)。松永は彼を金蔓として利用し尽くした末、娘のA女(当時11)と共に自分のマンションに監禁した。

食事、就寝、排泄までも極端に制限、檻のようなものに閉じこめ、火花が散るほどの身体への通電など「凄惨を極めた」虐待により、「やがて家畜のごとく」彼を衰弱死させた。直後に松永は純子とA女に命じて死体を解体させ、原形を留めぬまでにして処分させた。

つぎに松永は純子の実家に目をつける。純子を囮に、奸知にたけた脅しと誘導で約6千万円を支払わせたあげく、父(死亡時61、以下同)、母(58)、妹(33)、妹婿(38)、その子の女児(10)と男児(5)の6人をまたも狭いマンションに同居させる。

男性Aに行ったと同様の人間の尊厳をも失わせる虐待によって、全員を奴隷のように服従させた。松永は直接の実行行為は避け、巧みに緒方一家に互いへの猜疑と敵対意識を植えつけ、家族同士で、一人ずつ手にかけさせた。

純子自身もすさまじい「通電制裁」を受け続け、すでに正常な意思決定ができない状態だった。最後は松永の間接的誘導に追い詰められた純子が、女児に手伝わせて男児を絞殺した。

残された女児が弟の亡くなった場所に自ら横たわり、ほとんど従容と命を奪われていく光景では、あらゆる意味でこの犯罪の極限の酷さが読む者の胸に迫ってくる。

4年後の02年、脱走に成功したA女の証言によって、史上類を見ない密室犯罪はついに明るみに出た。松永と緒方は逮捕された当初、姓名も明かさぬ完全黙秘を続けたが、約半年後、「鉄の仮面」といわれた緒方が呪縛を解かれたようにすべてを語り始めた……。

この事件の含む人間性の謎は深い。元来、男性Aや緒方家の人たちは、それぞれ仕事や役割を持つきちんとした社会人だった。いかに松永が悪魔的支配力を有していたにせよ、なぜ、生き地獄のような監禁生活にみんな無抵抗で耐え、通報もせず、ただ廃人となって殺されていったのか? 小説なら到底説得できないような不可思議が、事実としてここにある。

そもそも婚約時代から激しい暴力に晒されていた緒方純子は、なぜ松永から逃げなかったのか? もともとは子供に優しい、信頼される幼稚園の教諭であった女性が。

〈私が知るかぎり、「逃げられない心理状態」が、裁判できちんと解明されたことはほとんどない。そればかりか、解明しようという意識さえ見られないことが多い。〉

長年、夫婦間暴力(DV)の取材を続けてきた著者が抱いたその疑問が、本書の強い執筆動機のひとつだった。著者は海外の精神科医の著書や学者の心理鑑定などを手掛かりに、独自の解明を試みる。

判決では2人に死刑が宣告された。松永は即日控訴、緒方も煩悶の末、控訴に踏み切った。

〈純子は生涯をかけて、遺族のやりきれない疑問に答えていくべきだ〉と著者は最後に記している。

夏樹静子「『逃げられない心理状態』の凄惨」
なつき・しずこ 作家


豊田正義『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』
4-10-300511-4

波 2005年12月号
新潮社
¥100
by yokokai2 | 2005-12-26 21:21 | 医学
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